生年 1934年3月10日
没年 2022年4月6日
日本の漫画家。エッセイスト、作詞家、タレント、俳優。
独立するまでは、藤本弘(後の藤子・F・不二雄)とともに藤子不二雄として活動していた。
小学校の頃、藤本弘と出会う。
中学生になり、手塚治虫の『新寶島』を読んで衝撃を受け、漫画家を志望するようになる。
高校在学中、藤本弘と合作で漫画作品の制作を始め、1951年に『天使の玉ちゃん』で漫画家デビューを果たすも、高校卒業後は新聞社に入社。似顔絵やインタビュー記事を担当する。
勤務しながらも藤本弘と漫画を描く生活を続けており、1952年雑誌デビュー、1953年雑誌連載スタートが決まる。
新聞社を退職し、1954年に上京し、トキワ荘へ。連載を月に10本も抱える人気作家となる。
1968年からは大人漫画にも進出し、ダークな作品も手掛けるようになる。
文才も発揮し、書籍も執筆する中で、妻の介護や藤本弘の手術もあり、1986年に独立を発表。藤子不二雄から藤子不二雄Ⓐとなる。
作品例
『忍者ハットリくん』1964年
『オバケのQ太郎』1964年
『怪物くん』1967年
『笑ゥせぇるすまん』1969年
『まんが道』1970年
『魔太郎がくる!!』1972年
『プロゴルファー猿』1974年
『少年時代』1978年
ひとこと
テレビ番組内のひとつのコーナーにおいて放送されていた『笑ゥせぇるすまん』を見た時、衝撃が走ったのを覚えています。あまりにダークで、でもどこかコミカルで、さすが藤子不二雄Ⓐだと思わされました。画風は藤子・F・不二雄と似ているにも関わらず、言わんとしている世界は違っていて、そこにも面白さを感じたのです。
また、興味をひいたのは、同番組内において藤子不二雄Ⓐご本人が出演されており、軽快なトークも披露されていたこと。漫画家としてだけでなく、お人柄にも触れることができた貴重な番組だったと思っています。
1990年には、ご自身の漫画を原作とした映画『少年時代』においてプロデューサーを務めるなど多才な一面も。
2021年には、88歳とはいえとてもお元気で、内覧会へ足を運ぶ姿も見せていたものの、2022年にお亡くなりに。26年の時を経て、1996年に死去したかつての相棒、藤子・F・不二雄に再開し、また漫画を描いているのかもしれません。
藤子不二雄Ⓐに関する物なら何でもご相談下さい。
珍しい物は高額にて評価致しますので、お気軽にご連絡くださいね。