誕生 1947年12月10日
没年 2004年7月7日
日本の医師、作家、医療ジャーナリスト。医学博士(東京医科大学)。
広島県三原市生まれ。
医師となってからは勤務医を務め、退職時の役職は内科医長。
1982年、専業の医者をやめ、企画・編集会社、有限会社「翔洋社」を設立。さらに、平凡社刊「QA」誌に連載を持ち、医療ジャーナリストとして活動。
作品例
『仕組まれた恐怖 エイズは生物兵器だった!?』1986年
『AIDS・Q&A 正しく知っておきたい119の知識』1987年
『からだの検査値がよくわかる! 定期健診・人間ドック』1987年
『ストレス自己診断 タイプ分類』1988年
『ぼくが医者をやめた理由』1988年
『医者が尊敬されなくなった理由』1989年
『ぼくが医者をやめた理由. つづき』1989年
『ボクが病気になった理由』1990年
『もしも病気になったなら 病院というところ』1990年
『新宿医科大学 ぼくが医者をやめた理由』1991年
『医者につけるクスリ』1992年
『定本・からだの手帖』1992年
『解体新書ネオ』1993年
『恋愛胃潰瘍の作り方』1993年【改題】『ストレスに効くはなし』
『お医者さんの罪な話 患者さんの笑えぬ話 ぼくが診察室で言いにくかったこと』1994年
『看護婦ヒロタの場合』1994年
『病気の値段 ぼくは病気だが、患者ではない』1994年
『ブラック・ジャックにはなれないけれど』1994年
『医者のためいき、患者のつぶやき 知らないとこわい医療の話』1995年
『いまどきの生老病死』1995年
『医療技術の最前線 生命を救う技術、苦痛を除く技術』1995年
『生真面目な心臓』1995年【改題】『カラダに聞いた15の話』
『ストレス学入門』1995年
『病者は語れず 東海大「安楽死」殺人事件』1995年
『お医者さんには謎がある』1997年
『病む人、癒せぬ人』1997年【改題】『病む人、癒せぬ人 中東・アフリカ難民医療紀行』
『朝から寝るまでの心とからだの処方箋』1998年
『クスリより効く"からだ"の雑学 音・色・かたちで自己診断』1998年
『実録・ぼくの更年期』1998年
『ぼくが「医療常識」を信じない理由』1999年【改題】『医者のぼくが…』
『ぼくに「老後」がくる前に 老人体験レポート』1999年【改題】『80歳の世界 ぼくの老人体験レポート』
『あやしい船医、南太平洋をゆく』2000年
『恋する心、恋するからだ』 2003年
『Horizon 海と空のはざま 写真・エッセイ』2004年
『適応上手』 2004年
『ただ、ふらふらと 酔いどれドクター最後の日誌』2004年
ひとこと
永井明は、自らの考えを綴ったエッセイの他、基本的には医療ジャーナリストとして、医者としての経験をふまえた多様な切り口の作品を多く執筆されています。
そのスタンスは「医療の現場と、そことは距離のある一般社会とを橋渡しする」こと。そして、まさにそれを体現された方でもありました。例えば、ドラマでも話題になった「医龍」のコミック原案や、アニメ版ブラックジャックの監修などを手掛けたり、映画『ボクが病気になった理由』では大森一樹との共同脚本を執筆するなど。
永井明の携わった多くの作品により、医療の現場をより身近に感じ、興味を抱いた読者・視聴者は少なくないでしょう。とても大きな役割を担われた方だと感じます。
医師を引退後は、執筆業を主としながら船医もされておられたと言います。とある水産大学校の練習船に乗り込み、卒業航海の3か月を見守っていたのだとか。医師と言う側面よりも「船」に惚れこんだからと以前話しておられた記事があり、医師、作家、そして船といった多くの経験が、この人の魅力を深めているのだと強く感じました。
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