生年 1952年4月3日
没年 2004年7月26日
日本の小説家、劇作家、随筆家、放送作家であり、広告プランナーやラジオパーソナリティ、ミュージシャンなどの活動も行っていた。
本名:中島 裕之(なかじま ゆうし)。作家として活躍する中島さなえの父。
大学卒業後は、営業やコピーライターを経た後に作家へ。
1991年、『今夜、すべてのバーで』にて第13回吉川英治文学新人賞、第10回日本冒険小説協会大賞特別大賞受賞。
1993年、『ガダラの豚』にて第47回日本推理作家協会賞受賞。
作品例
- <詩集>
『全ての聖夜の鎖』1979年 自費出版
<エッセイ>
『舌先の格闘技 必殺へらず口大研究』1986年 【改題】舌先の格闘技
『中島らものたまらん人々』1987年
『恋は底ぢから』1987年
『獏の食べのこし』1989年
『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』1989年
『変!!』1989年
『ビジネス・ナンセンス事典』1990年
『しりとりえっせい』1990年)
『とほほのほ』1991年2
『こらっ』1991年
『西方冗土 カンサイ帝国の栄光と衰退』1991年
『愛をひっかけるための釘』1992年
『僕にはわからない』1992年
『空からぎろちん』1995年
『アマニタ・パンセリナ』1995年
『固いおとうふ』1997年
『エキゾティカ』1998年
『さかだち日記』1999年
『砂をつかんで立ち上がれ』1999年
『とらちゃん的日常』2001年
『世界で一番美しい病気』2002年
『心が雨漏りする日には』2002年
『牢屋でやせるダイエット』2003年
『休みの国』2003年
『ロバに耳打ち』2003年
『異人伝 中島らものやり口』2004年
『人生のエッセイ 中島らも その日の天使』2010年
- <小説>
『頭の中がカユいんだ』1986年
『中島らものぷるぷる・ぴいぷる 異能作品集』1988年
『お父さんのバックドロップ』1989年
『超老伝-カポエラをする人』1990年
『今夜、すべてのバーで』1991年
『人体模型の夜』1991年
『ガダラの豚』1993年
『白いメリーさん』1994年
『永遠(とわ)も半ばを過ぎて』1994年
『水に似た感情』1996年
『寝ずの番』1998年
『バンド・オブ・ザ・ナイト』2000年
『空のオルゴール』2002年
『こどもの一生』2003年
『酒気帯び車椅子』2004年
『ロカ』2005年
『君はフィクション』2006年
- <明るい悩み相談室シリーズ>
『中島らもの明るい悩み相談室』1987年
『中島らものもっと明るい悩み相談室』1988年
『中島らものさらに明るい悩み相談室』1990年
『中島らものますます明るい悩み相談室』1991年
『中島らものばしっと明るい悩み相談室』1992年
『中島らものつくづく明るい悩み相談室』1994年
『中島らものやっぱり明るい悩み相談室』1995年
『中島らもの特選明るい悩み相談室 その1・ニッポンの家庭篇』2002年
『中島らもの特選明るい悩み相談室 その2・ニッポンの常識篇』2002年
『中島らもの特選明るい悩み相談室 その3・ニッポンの未来篇』2002年
『中島らもの置き土産 明るい悩み相談室』2013年
ひとこと
ひねくれたユーモア感覚で多くのファンを獲得していた中島らも。作家としても、作家以外の活動においても常に話題となる人物であり、一時期は関西代表のような扱いも。
そしてその評価に負けることはなく、しっかりと応えて成果を出し続けていた中島らもは、常に関西特有のおかしさについて語り、広く伝えてくれる存在となっていました。
惜しむべくは、その才能の泉が飲酒や薬物にあったところ。
お酒や薬物を摂取することで生まれる酩酊の状態。そこから内容の着想を得ていたと言い、故に、忙しさを極めれば極めるほどに飲酒や薬物の量が増え、結果的に体はボロボロに。
多忙な人気作家という世間からの評価と引き換えに、アルコール依存やアルコール性肝炎との闘いとなった人生でした。
2004年、飲酒による転落にて頭部を強打し、意識が戻ることはなく、そのまま亡くなってしまった中島らも。もう少し元気で、そして作家活動を続けておられたなら、関西は今よりももっと、元気になっていたのかもしれません。
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