生年 1930年12月30日
没年 1989年12月9日
日本の小説家。体験や実際の取材を元にしたノンフィクション作家としても知られる。
大阪市天王寺区出身。
大学在学中、同人誌「えんぴつ」に参加し、1951年、処女長編小説となる『あかでみあ めらんこりあ』を執筆。私家版として友人に配った。
1953年、卒業し、洋書輸入商でもある北尾書店に入社。
1954年、妻の退職に伴い、その後任としてサントリー宣伝部に転職。コピーライターとなり、PR誌の編集やキャッチコピーを担当する。すると、発行部数が1万部から13万部となった。
同時期より、習作を発表するようになる。
1957年、商業誌デビュー。
1958年、『裸の王様』で芥川賞受賞。これを機に退職し、専業作家となる。
1968年、『輝ける闇』で毎日出版文化賞受賞。
1979年、『玉、砕ける』で川端康成文学賞受賞。
1981年、「ベトナム戦記」から「もっと遠く!」「もっと広く!」に至るルポルタージュを、文学として確立させた功績により第二十九回菊池寛賞受賞。
1987年、『耳の物語』で日本文学大賞受賞。
作品例
<小説>
『あかでみあ めらんこりあ』私家版 1951年
『裸の王様』1958年
『流亡記』1959年
『屋根裏の独白』1959年
『日本三文オペラ』1959年
『パニック』1959年
『ロビンソンの末裔』1960年
『片隅の迷路』1962年
『見た・揺れた・笑われた』1964年
『輝ける闇』1968年
『青い月曜日』1969年
『七つの短い小説』1969年
『夏の闇』1972年
『新しい天体』1974年
『歩く影たち』1979年
『渚から来るもの』1980年
『ロマネ・コンティ・一九三五年』1980年
『破れた繭 耳の物語1』1986年
『夜と陽炎 耳の物語2』1986年
『珠玉』1990年
『花終る闇』1990年
『ちくま日本文学全集 開高健』1991年
『二重壁・なまけもの 開高健初期作品集』2004年
『戦場の博物誌 開高健短篇集』2009年
『開高健短篇選』 2019 年
『流亡記/歩く影たち』2020年
<随筆・ノンフィクション>
『過去と未来の国々 中国と東欧』1961年
『声の狩人』1962年
『日本人の遊び場』1963年
『ずばり東京』1964年
『ベトナム戦記』1965年
『饒舌の思想』1966年
『私の釣魚大全』1969年
『紙の中の戦争』1972年
『サイゴンの十字架』1973年
『眼ある花々』1974年
『開口一番 ユーモアエッセイ集』1974年
『白いページ』1975年
『開口閉口』1976年
『自選「作家の旅」開高健』1977年
『最後の晩餐』1979年
『食後の花束 現代の随想』1979年
『白昼の白想 エッセイ 1967-78』1979年
『地球はグラスのふちを回る』1981年
『食卓は笑う』1982年
『あぁ。二十五年 1958-1983』1983年
『舞台のない台詞 気ままな断片383』1983年
『風に訊け ライフスタイル・アドバイス』1984年
『生物としての静物』1984年
『今夜も眠れない 名著ゼミナール』1985年
『さまざまな邂逅』1986年
『知的経験のすすめ 何でも逆説にして考えよ』1987年
ひとこと
開高健を一言でいうと、「ものすごく行動的な作家」となるかもしれません。思いを巡らせて執筆する小説に留まらず、世界に繰り出し、色鮮やかにルポルタージュを書き上げたり、獲物を求めて世界を駆けまわる釣り人であり、美食や美酒を追い求める美食家であったり。
そしてそのフィールドは戦地にも。
死と隣り合わせとなる従軍記者となって、ベトナムの戦地奥深くまで潜入。激化、泥沼化する戦地において得た現実を、ルポ『ベトナム戦記』として書き上げ、後に『輝ける闇』や『夏の闇』といった文学作品にまで昇華させています。
開高健が所属していた部隊は200人のうち生き残ったのが17人。その時の思い、生々しい戦場の現実を胸に、その後は反戦活動にも参加。生涯のテーマとして掲げていたと言います。
開高健の作品には、戦場を取り上げた力強い作品から、人々との日常での交流を取り上げるほっこりと心温まる作品まで、大変に幅広く存在します。どの一冊を手に取るかで、はじめの印象が大きく変わる。そんな作家さんと言えるかもしれません。
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