生年 1878年12月7日
没年 1942年5月29日
日本の歌人、作家、思想家。正字:與謝野 晶子。本名は与謝野 志やう(よさの しょう)。旧姓は鳳(ほう)。夫は、同じく歌人の与謝野鉄幹。
堺県和泉国第一大区甲斐町(現在の大阪府堺市堺区甲斐町)で三女として生まれるが、家業は没落しかけており、3人目の女の子であったことから疎まれて育つ。
女学校入学後、古典に親しむ。
16歳の時、『文芸倶楽部』に鳳晶子の名前で投稿した短歌が掲載される。
20歳の頃より、店番をしつつ和歌を投稿。
1900年、歌会で歌人・与謝野鉄幹(後の夫)と不倫の関係になり、鉄幹が創立した新詩社の機関誌『明星』に短歌を発表。
1901年、東京に移り、女性の官能をおおらかに謳う処女歌集『みだれ髪』を刊行。浪漫派の歌人としてのスタイルを確立する。
作品例
『みだれ髪』1901年
『小扇』1904年
『恋衣』1905年
『舞姫』1906年
『夢之華』1906年
『常夏』1908年
『佐保姫』1909年
『春泥集』1911年
『青海波』1912年
『夏より秋へ』1914年
『さくら草』1915年
『舞ごろも』1916年
『朱葉集』1916年
『晶子新集』1917年
『火の鳥』1919年
『太陽と薔薇』1921年
『草の夢』1922年
『流星の道』1924年
『瑠璃光』1925年
『心の遠景』1928年
ひとこと
「君死にたまふことなかれ」という一節で、与謝野晶子をご存じの方も多いのではないでしょうか。日露戦争の真っ只中において与謝野晶子が発表した詩です。その内容は、まさに反戦歌。戦地で命を懸けて戦う弟を案じた、姉の心を詠んだもの。そしてこれが、世間の大非難を浴びるものとなったのです。
当時は、命をかけて国を守るという使命の元、本気で戦った人と、その思想に迎合せざるを得なかった人が多くを占めており、与謝野晶子のように立ち向かう人はほとんど居ない時代です。そんな中でこの詩を発表したことにより、多くの批判を集め、投石などがあったとも言われています。しかし、屈しなかった与謝野晶子。今の世にも通じる「平和」の意味を、当時からずっと問い続けているのかもしれません。
与謝野晶子の作品は、どれを取り上げても激しく、情熱的で官能的。そして奔放さも垣間見える作風です。今の時代にも、まったく古さを感じさせない作品だと言えるでしょう。
ジェンダーについて論じられることの多い今だからこそ、たくさんの人に読んで欲しい作品です。
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